善人ばかりだと、争いが絶えない!?

2015年08月16日

前を向いて歩こう、今回のテーマは、

『善人ばかりだと、争いが絶えない!?』。

善人ばかりだと、争いが絶えない!?このようなテーマでお話しをしてみたいと思います。
これは、たまにこういったお話を聞いたことがある人もいるかもしれません。
私は若いころに『浮浪雲』というまんがで見て、「なるほど。」と思いまして、その後も、ネットで似たようなテーマで検索をしますと割と出てきます。

善人ばかりだと、実は争いが絶えないというのは非常に面白い発想で、逆に言いますと、『浮浪雲』の漫画で出てきたのは、「悪人ばかりだと世の中は平和だよ」と。
「何だそれは。悪人ばかりだと世の中犯罪ばかりだろ。」と思うかもしれません。
これは心の中の問題でありまして、自分をどう思っているか、ということなのです。

それで、ちょっとこのことを図にしてみました。
まずは、善人ばかりだとうまくいかない、とは何かについて簡単に言いますと、「オレが正しい」「私が正しい」「ボクが正しい」と、常に自分が間違ってないよ、ということが前提の話をします。
これはやはり身内の家族関係もそうですし、私、コーチングをやっていて、組織の階層がありますが、社長、管理職、現場の職員という上司と部下の関係、あるいは横のつながりで同僚の関係、他の部門との関係で、大体問題があふれてきて、「自分が正しい。あいつが変わればいいんだ。」というパターンが大変多いです。

基本は自分を善人と思っている。

基本的に皆さん、ある意味、善人なのですが、一つの問題について、自分が正しい、自分が正しい、としか言わないのです。
こうなりますと、勝ち負けになってしまいます。
自分の正しさをどうやって押し通すか、これ、四つ角入っていますけど、「オレが正しいんだ。」「私が正しいのよ。」「ボクが正しいんだ。」というように、それぞれ主張を曲げないでおくと、勝ち負けになってしまいます。
そうすると、自分が善人だとばかり思っていると、やはり、それは勝ち負けでしか決着がつきません。
ということは、相手の言うことを受け入れると、自分が負けたという感じになってしまいます。
これは勝ち負けコミュニケーションというようにコーチングの世界では言うのですが。
善人ばかりだと失敗しやすいです。

ですので、一番簡単なのは、「自分が悪いかもしれない。」「私が悪いかもしれない。」「ボクが悪いかもしれない。」というように、自分に問題があるかもしれないということをせめて、2割くらい持ってほしいと。
ほぼ99%自分が正しいということを前提で話しをするので、プライドもあるのでしょうけど、大体いさかいが起こります。
基本はここなのです。

自分をフィードバックする。
自分を振り返ってみる
内省と言います。
内を省みると。
反省とは違って、内省。
自分を省みて、自分に落ち度はないかということをしっかりみんな同じようにバランスよく考えれば、一方的にごめんなさいではなくて、ただ謝ればいいのではなくて、自分が悪いという気持ちを若干持って、相手に歩み寄るとか協調だと勝ち負けから脱出出来ます。
第3の選択肢が出てきます。
新しい選択肢、あるいは、新しい案が出ます。
これがコーチングの一つの醍醐味なのです。

第3の案を出すことがポイントで、結果的にその人が、いい、と思えばその案を採用すればいいのですが、大体こういうときは勝ち負けになってしまって、プライドが傷ついた、みたいになりますね。
そのときに自分が悪いかもとみんなが思えれば安心して新しい選択し、でも、誰かの案が新しい選択肢でもいいのです。
この辺はやはり、ベースには信頼がある、あるいは不信なのかという。

これは人間関係でもそうです。
ベースに相手に対する不信があるのか、信頼があるのかと。
この差は大きいです。
ベースにあいつには任せてはおけない、というのがありますと、自分が正しいとなってしまいます。

ここから変えなければなりません。

ですから、見えないところで信頼があるのです。
信頼関係、所謂、ラポールと言いますが、簡単に言葉で言えばシンプルですが、それをやるのが大変なのです。

そのときにまずは自分が悪いかも、相手を尊重する、本当に考える、なかなかこれはパラダイム変化、パラダイムというのは、自分の思考の枠組み、根本的な思想まで変えなければならないこともありますので、辛いのですが、誰かがこれをやらなければならないのです。
自分から始められる人が、私はリーダーだと思います。

リーダーというのは、例えば、AさんBさんCさんがいて、人にやってもらうのではなくて、自分から、例えば、Aさんが最初「オレが正しい」と思っていたけど、「オレが悪いかもしれない」という態度で接すると周りも変わりますから。
自分は正しいけど、Bさんを悪いと思わせるとかは、大体相談を受けるときは、「あいつの考えを直したい」という言い方をされますが、それは根本的に間違っていますから。
相手もそう思っていますから。
私が「相手もそう思っていますよ。」と言いますと、またキレるわけですけど。
ですが、そういうものです。

とすると、どこかで、自分が悪いかもという気持ちを全員が持つようにならないとやはり、物事というのは進展しません。
特に私、社長さんにこれを言いましたら、大体社長さんが「オレが正しい」というときに、周りは逆らえないわけです、社長が人事権を持っていますから。
給料をカットされたくありませんし、左遷されたくありませんから、「社長の言うとおりです。」ということになってしまいます。
ツッコミを入れられるような環境にするということは大事で、「オレが悪いかも」という気持ちをどこかで持っておく、それを態度に表さないと、当然、これは歩み寄りの協調というのはありえませんから。

これは家族でもそうです。
私はあらゆる人間でもそうだと思いますが、まずは、善人ばかりのグループかどうかを見れば、一歩引いて、もしグループを見るときに。
「善人ばかりかな、このグループは。」、あるいは、このグループは悪人、悪人ってこれはいい意味です。
自分が悪いかも、というように思える人のことをここでは悪人と言っています。
なので、善人ばかりだと、そのグループは大体失敗しやすいです。
ただ、勿論、正しいと思う信念も大事ですが、信念のほかにお互いの信頼関係に基づいた「自分が悪いかも」といった、謙虚な姿勢というのは大事だと思います。
ですから、善人ばかりのグループは不信感でいっぱいですから、「自分が正しい」としか思っていません。
こうなりますと、発展がありません。
勝ち負けの内部のコミュニケーション、内紛となってしまいます。

ですが、自分がいい意味で悪人、「自分が悪いかも」「相手が正しいかも」、勿論、そればかりではなくて、バランスです。
「自分は正しいと思っているけど、もしかしたら、部分的に直すべき点があるかもしれない。」と思っておけば、お互いに話しを聞く余裕が出てきます。
これは、相手が信用できる、という前提がないと無理なので、ここのところをベースを転換できるかどうか、ベースに不信がありませんかと。
「いや、オレはそんなことはない」と考える人ほど考えてほしい。
大体、「自分はそんなことない」、そんなことあるのです。
あるから、そうなっているわけです。

グループがうまくいっていないときは自分に問題はないかなどを考えなければなりません。
まず間違い。

ほぼこれで99%が解決できると断言できます。

まず、自分に問題はないかとみんなが考えれば失敗するはずはありません。
ただ、一方的に誰かが悪い、誰かがいい、というのはよくありません。
バランスないとマズイです。
ただ、みんなが自分に問題があるかもしれないと思ってコミュニケーションをするというのと、みんなが自分は正しい、自分は善人だと思い込んでやるのとでは全然違います。

この原理を知って、普段、組織のなかで活動するときも全然違いますね。
ということで、誰かが、一方的にいいとか、悪いとかではありません。
みんなが少しずつ自分にも問題点があるかもしれない、ということで、自分自身で自分を修正できるような人が揃った組織は強い、ということです。

今回のテーマ、善人ばかりでは組織は争いが絶えない、いい意味で悪人にもなりましょう。
自分がいい意味で馬鹿になりましょう。
自分にも悪いところがあるのかなという気持ちで組織運営と言いますか、組織の中で生きていけるといいのかなと。
これは本当に家族こそ、そういうことがあります。
「ボクは間違ってないけど、お父さんが間違っている、お母さんが間違っている。」「オレは間違ってないけど、子どもたちが間違っている。」これは本当にあります。

特にお父さん気をつけてください。
大体、お父さんにこの傾向がありますから。
と、私は思います。
私もお父さんですから、気をつけます。
ということで、オヤジというのは一番力が強いから、最後は一喝すれば黙ってしまうのです、家族が。
力でねじ伏せないということです。
特に社長もそうです、権力とか。
そうではなくて、ということです。

自分が悪いかも、という気持ちが少し2割くらいでも持てればおそらく多くの人間関係はスムーズになるのではないかと思います。
善人ばかりではギスギスしますよ、これは逆説的な話しですが、これ、面白いですね。

私は『浮浪雲』というまんがでこれを読んで、そうだなと思いまして、意識しています。
ということです。
今回のテーマ、善人ばかりでは人間関係はギスギスしやすい、というようなお話でした。

私はいつもあなたの成功を心から応援しております。
ここまで、ご覧頂きまして誠にありがとうございました。