困難な状況は、急成長の糧です~社会人の簿記勉強法~

2015年01月09日

前を向いて歩こう、今回のテーマは、「困難は、人を成長させる糧である」です。

困難は、人を成長させる糧である、というテーマでお話しをします。

人間はできれば、安定していたいとか、ある程度、困難には直面したくないという気持ちが働きます。
これは仕方がありません、生存本能があるわけです。
私だって、できれば困難には自らわざわざ飛び込んでいくことは面倒くさいし、あまりしたくはないという気持ちもあるわけです。

ただ、振り返ってみると、自分が急成長するときというのは人生において何度かあります。
急に売り上げが上がったり、急に成果が出たとき、あるいは、本が売れたりするという経験がこれまで何度かありました。
振り返ってみると、すごく、インパクトの大きい成長を遂げる直前はかなり真剣に悩んでいます。
これは、夜明け前が一番暗いというのは、私の限られた人生経験の中でも分かります。

例えば、いくつか申し上げますと、私は22歳か23歳ぐらい、大学3年生ぐらいのときに、30万円以上する教材の訪問販売のアルバイトをやっていました。
販売額の10%が自分の取り分になります。
大体1ヵ月やって、平均2本ぐらい売れるのが実態でした。
結構いろいろ走り回ったり、身を削ってやっています。
だから、自給にすると、かなり安いのですが、ただ、経験自体は営業の経験なので、授業料を払ってでもやったほうがいい経験なのです。

人に頭を下げて、30万の教材を売ろうとするというときに、相当色々考えるわけです。
話が合わない人だけど、ペコペコ頭を下げて話を合わせるということを何百回とやったわけです。
それでやっと1本2本取れるという経験。
あれは確かに、お金を得るということ以外の点でも貴重な経験でした。

私は1ヵ月の期間のうち、最初の2週間は全く売れませんでした。
2週間、自分で克明にノートを取っていたにも関わらず。
そのときは、まだ22歳ぐらいで会計士の勉強もやっていませんし、簿記の勉強すらやっていませんが、数字にこだわりがあったのだと思います。
数学は苦手でしたが。

その状態で、自分で、自分の行動をこまめにチェックして、自分なりのマイ日報のようなものを作っていました。
それで一生懸命、人の2倍動いているはずなのに売れなかったのです。

一方で、もうすでに同期で始めた人や、私より後に始めた後輩などが偶然、1本取れたりするわけです。
そういうのを見ていて、「なんで、俺だけ取れないの?」「俺は人よりも一生懸命データを取ってやっていたはず」「どうして、これはおかしい」「自分、向いていないのではないか?」と悩みました。

ですが、2週間目に社長に相談して、その記録を見せたら、「これはそろそろ売れる兆候があるよ」と言われましたので、信じてやってみたら、その日か次の日ぐらいで、本当にダブルスでいきなり売れるようになりました。
そのあと、後半はほとんど1日1本ペースに近い状態で売れるようになりました。

それで、売るのが面白くなりまして結果的には、毎日売れたり、2日に1本ぐらい売れたりして、結局1ヵ月半で10本売りましたので、そのときの私の売り上げが300万ぐらいです。
それで、私は当時、学生で財布の中に1000円とか500円しかない状態で、給料30万もらいましたから舞い上がりました。
「おお、サラリーマンと同じじゃん」「俺みたいな学生でも経験なくてもできるんだな」と思いましたら、自信がつきました。

ただ、売れる前の日ぐらいまでは、本当に売れなくて、「俺、営業向いてないや。こんなに一生懸命やっているのに、昨日今日来て、ヘラヘラ周って、たまたま気が合って1本売れた人もいるのに、俺2週間全然売れねーやー。ここまで自分なりに理論的に組み立ててやっているのに、なんで?」落ち込みました。

ですが、訪問販売のアルバイトを経験して分かったことは、たとえ売れなくても経験としての蓄積がある、ということです。
そしてそのあと、蓄積してきた経験が爆発するのです。
爆発の前の静けさというのはあります。

あの時それがわかって、「会計士もこうやって、やればいいんだ」ということで、公認会計士試験を受験したときに、1年目で一応、合格レベルにいったのです。
TACというところの公開模試で、運よく上位者に名前が載りまして、そのときに天狗になっていました。
「俺はもう見切った」と思ってしっかりやらなかったのです。
自分の力なんてそんなに大したことないのに、少し天狗になっていたところがありまして、それで1年目落ちてしまいまして。

これはマズイということで、2年目はもう少し真面目に勉強をしたつもりでした。
これは前にもどこかでお話したことがあったと思いますが、2年目は逆にある程度、詳しくなっていましたから逆にまた侮ってしまいました。

2年目になると、私は柴山先生みたいに言われていて、私が周りに教えているのです。
講師は講義が終わったあと帰りますが、そのあと、みんなが集まるわけです。
「あの講義どういうこと、柴山さん?」「これこれ、こうだよ」というように、私が周りに教えていたのです。
ですが、教えていたら、教えていた相手が2年目に合格して、教えていた私が落ちてしまって、「あれ、俺、向いてないのかな。会計士、俺、縁がないのかな」とそのときショックを受けて、さすがに2年目の時は涙がでました。
「なんで、教えた相手が受かって、俺が受からないんだ」、世の中理不尽だと思いました。

そこでどうしたかというと、難しいことに手を出しすぎていたので、逆に基本、原価計算なら原価計算基準をもう一度暗記しなおしました。
あとは、企業会計原則から連続意見書から、基本のキーワードと定義を全部徹底的に暗記して、基本に返りました。
定義のコレクションを始めたのが、確か2年目の終わりぐらいです。
しっかりやって、もう1回、基本制度を確認しました。
例えば、商法でしたら、取締役の責任とか株主総会の意義とか、当たり前のところをもう1回確認しました。

それで、謙虚になってゼロから始めて、それで落ちたらもうやめようと思って、3度目受験したら合格しました。
自分で言うのもなんですが、あのときは余裕で合格したと思います。
確か当時、商業簿記は自己採点で200点満点の論文が170点ぐらいでほぼ満点近く取れましたので、ほぼこれはいけたと思いました。

やっと、簿記がこうなんだということがわかったのが、3年目なのです。
2年目までは点数は取れていても、本当の意味で簿記が分かっていなくて、勢いでやっていたわけです。
それでも、合格するときは合格するのですが、やはり精神的なものだったのです。
3年目は本当に基本に立ち返って、「絶対イージーミスはしないぞ」と意識して、3年目で合格しました。

あのとき思ったことは、やはり、適当な応用ではダメなのです。
やはり、基本をしっかりがっちりやった人のほうが、受かりやすいということが分かりました。
なぜかと言いますと、私が教えている人がみんなTACで合格しているわけです。
私も生徒ですけど、私が落ちてしまって、「これは、なんか変だな」「これ、ベテランになっちゃうな」と。
5年間こんな感じで、下手すると、「柴山さんの教え方、うまい」とか言われていましたので、講師をやろうかなと思ったのですが、ちょっと違うなと、当時思ったのです。

なので、当時2年目のときに、下手をすると講師より教え方がうまいと言われていたのです。
なぜか実習室や談話室などで連結なども教えていましたから。

あと、私は公認会計士試験の経済学はそこそこ点数を取れていたので、数学苦手でしたから数学を使わないで「経済学はこうやって理解するんだ」とグラフで教えて、「ああ、なるほどね」という感じで教えていたのです。
あとは、財務諸表論とかも教えていました。
それが教えていたら落ちてしまったということで、理不尽ですね、ということもあるわけです。

あと、社会人になってからで何があったかというと、監査法人を辞めて、独立して、3年目ぐらいである程度、軌道に乗り始めたのです。
それで、会計事務所は1人でやっていたのですが、合わせて講師業もやっていました。
私は口先で結構商売するところがありましたので、講師業のほうが少し売り上げが伸びたのです。
講師業の売り上げがいいときで、1000万ぐらいだったと思います。

そのときは、会計事務所と並行してやっていましたから、パンパンにきつかったです。
1日4、5時間仕事をして、本当に休みは年末年始とお盆の3日ぐらいしかありませんでした。
年間の休みが多分、1週間ぐらいの休み。

50週間ほぼ毎日12、13時間ぐらいなので、あのとき、年間4000から5000時間働いていました。
30台半ばだったと思いますが、講師業でいっぱいいっぱい、会計事務所も1人でやって、体を壊しそうになりました。

ですがあの後、新司法試験が導入されたことの影響もあったと思いますが、専門学校の採算が少し厳しくなりました。
それで、私は講師業の単価が高かったのですが、高い講師単価の人がおそらく仕事を削ったのだと思います。

事前に言われてなかったということもあって、1年少し経って気が付いたら、1000万ぐらいあった講師業の売り上げが、いきなり500万前後、半分まで減ってしまったのです。
1年ちょっとで個人の売り上げが500万減るわけです。
これも「ヤバイ」と思いまして、本当にヤバイと思いました。
同時にこのままだと体を壊すと思いました。
これは40過ぎたらできない、寿命を縮めると思ったので、もう少し効率よく動いて売り上げを倍にすることができないかと思いました。

そしてその当時、今からちょうど10年ぐらい前の2004年ぐらいにメールマガジンとインターネットを始めました。
あのとき、ヤフーのことをヤホーと言っていた時代です。
ヤフーのアカウントの作り方すら分かりませんでした。
ヤフーの見方も分からないゼロから始めて、ホームページビルダーでホームページを作って、当時、山田真哉先生と偶然出会って、いろいろやりながらメールマガジンをやって、ここまできました。

今思うと、メールマガジンとこのユーチューブ動画で、インターネットマーケティングを自分なりにある程度やって、数千万円規模の売り上げをある程度、自動化で上げられるようになったのは、あのときに講師業の売り上げが1年ちょっとで半分以下に減ったという、あの危機的状況があったからです。

当時は専門学校を恨みました。

「1年ちょっとでいきなり、半分にしやがって」。
やはり、こちらも生活がありますからきついわけです。
ですが、あの危機的状況のおかげで、結果的に災い転じて、福となす、ということで。

何倍もの売り上げをインターネットで稼げるようになったのは、実はあのときに、講師業にしがみつくのはやめなさい、という神様のお達しや天からのお告げだったのかもしれません。

人間は、困難があるから本気になるためのスイッチが入るのです。

そして、何かほかの手段を考えるようになるのです。

あれから、2、3年私はインターネットの勉強をしましたので、インターネットマーケティングに関しては、実は私なりにコンサルティングできます。
特に会計事務所の方、苦手な方にできると思います。
ユーチューブマーケティングとブログを使ったやり方、それからメールマガジン。
ただ、私はやはり会計人なので、これは今メインで売っていませんけど。

ですから、あのとき専門学校の講師業の売上高に依存する体質はやめなさいと天からのお告げがあって、自分の見方が広がったのです。
あれから本も出せるようになりました。
本も20冊以上出せるようになったのは、あのとき専門学校との距離を置きなさいと多分天から言われたのだと思います。

そういうこともありますので、「本当に災い転じて、福となす」「人生万事塞翁が馬」「禍福は糾える縄のごとし」。
さまざまな昔のことわざにもありますが、悪いことがあったら逆にチャンスと思って、ほかのことをやれば、シャカリキな人間になれるので、本当に急成長します。

やはり、あのまま行っていたら、多分、売り上げは横ばいでそんなに変わらなかったと思います。
多分、私個人でやっていたら2000万は超えなかったと思います。
それが今は2倍とか3倍です。
しかも、自分はそんなに1日14、15時間仕事をしなくても、その半分以下の時間に減らして、ある程度、余裕を持たせながらも売り上げ自体は何倍にする、ということができたのも、やはりあの講師業の売り上げがいきなり半分まで減ったときなのです。

なので、みなさんもそうなのですが、目先の当面の危機的状況、困難な状況でも、自棄にならないで、落ち込まないで、「これは、急成長するためのチャンスだ」と思って、頑張ってみてください。
私もこれは何度かありますから、これからも多分、そういうことがあると思います。
見た感じの瞬間、厳しいな、と思う危機的な状況はあるかもしれませんけど、ここで一念発起。
「これは、チャンスだ」と。
急成長のチャンスなので、頑張りましょう。
人生、困難を笑って乗り越える、そのような根性も必要かもしれません。
お互いに頑張りましょう。

あなたの成功をいつも私は応援しております。
ここまでご覧いただきまして、誠にありがとうございました。