偏差値30台からの逆転!簿記1級合格体験談

今回は「偏差値30台高卒税理士の奮闘記」という形で、今回は、20代で税理士に合格された大野晃さんに来ていただきました。

苦悶の日々と、サクセスストーリーなどを私の視点からお伺いしたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

大野晃氏(以下、大野):よろしくお願いします。

柴山政行氏(以下、柴山):昔の、「やんちゃ」だった頃の話をしていただこうと思うのですが、「方程式も知らない僕が簿記1級を受けようとした動機」ということをお伺いしたいのですが。

大野:私が通っていた中学は同学年が280人ぐらいいましたが、成績はその中で278位などでした。

一方で、私には双子の妹がいるのですが、妹は成績が上位だったので、そうなると、逆に私のほうは「中途半端な位置にいるぐらいなら、勉強を放棄したほうがいいだろう」と考えるようになりました。

妹は「よくやってるね」と言われていましたが、私のほうは、親から見たら、ある程度成績は普通であってほしいじゃないですか。

ですが、私は何かスイッチが入らないとやる気にならないというのを親はわかっていたので、最後には「1位を取ったら10万円」とか、懸賞をかけられるような状態になりました(笑)

柴山:それでどうなりましたか?

大野:それでもやる気は出なくて、良くて10位上がったぐらいです。
今思えば、義務教育を放棄したという感じです。

柴山:私の世代でいうと「尾崎豊」の世界ですね。
では、20代でコンビニのアルバイトをしていた頃の話を伺ってもよろしいですか?

大野:高校時代は恋愛など色々楽しみたいなと思っていて、最初は商業高校を希望していたのですが、商業高校は「レベルが高いからダメだ」と言われ、工業高校に進むしかありませんでした。
だから、私はアーク溶接とかガス溶接の資格を持っているのです。

柴山:税理士なのに?(笑)

大野:はい(笑)

柴山:では、税理士の資格がなくてもそれで食べていけるということですか。

大野:いえ、そんなことはないです。
もう時効だから言いますが、アーク溶接は98パーセントぐらいは受かる試験にもかかわらず、私は落ちそうだったので、カンニングして受かるぐらいの勢いでした。
私は元々工業高校に入りたかったわけではなかったですし。

柴山:工業高校には女性はあまりいなかったのですか?

大野:男だけですよね(笑)それこそ作業服を着て旋盤なんかをやる毎日だったのですが、就職のときになっても、何も考えていませんでした。

親からも「こういう道がある」というようなことは何も言われていなかったですし、本当に自由奔放でした。

私はラグビーを6年間やっていたのですが、そのまま大学でラグビーをやりたいというわけでもありませんでした。

大学に行こうと思っても、唯一、予備校の模擬試験を受けて、四国や九州にある大学が30パーセントぐらいで合格できそうなぐらいでした。

どうしようと思っていたのですが、その時に観ていたドラマで織田裕二が「主任」と呼ばれていました。

なんだろうと思ったら「国内旅行業務主任者」というのを知って、「ああ、この資格を取れば、新人のときから『主任』って呼ばれるのかな」というふうに考えて、旅行の専門学校に入りました。

ある意味、単細胞なのですね。
入学してから「就職するなら花形のJTBだろ」と思ったのですが、専門学生はJTBに行くことはできないということを知りました。

柴山:本当に行き当たりばったりなんですね(笑)

大野:本当に何も考えていなかったです。
結局、専門学校は中退してしまって、バイトを探していたのですが、飲食店のバイトなどの面接を受けても全部落ちてしまっていました。

「バイトの面接も落ちるのかよ」って、さすがに人生の自信をなくしますよね。
そんななかで、唯一拾ってくれたのがコンビニだけでした。

たしかに、そのときの身なりは金髪で日焼けしていたので、今思えば「そんな奴、バイトでも取らないだろ」と、社会人になってからわかりました(笑)

柴山:その頃はどういう生活を送っていましたか?

大野:バイトをして、飲みに行って、専門学校時代に知り合った彼女と付き合っていました。

その彼女は「歌手になる」と言っていたのですが、当時の私には「夢」や「挑戦」というのは無かったので、彼女の目の輝きを見て考えさせられました。

「右脳と左脳がグルグル回っているときには目が光る」というらしいのですが、当時の彼女は目が光っていたのかなと思います。

私は「そんな夢は叶うわけがない」と言っていたのですが、そう言っていた自分を格好悪いと思うようになりました。

「将来、これでいいのか」と冷静に考えたときに、夢に向かっている彼女を見て嫉妬していたのでしょうね。
あのときは苦しかったですね(笑)

私も内心は目立ちたいと思っていて、それこそ、ひたすら携帯電話が鳴る人が羨ましかったです。

当時は1人で2台3台と携帯電話を持って、いつも電話が鳴りっぱなしの人もいましたが、それって、その人が頼られていたり、人気があったり、何かしら魅力があるから電話が鳴るのかと思って、「ああ、こういう人物になりたいな」と。

冷静になったときに「夢にチャレンジしないで終わって、後悔しないのか」と考えるようになりました。

80代以上の高齢者の方に「人生で後悔したことはあったか?」というようなアンケートをしたときに、皆さんが口を揃えて「もっと冒険しておけば良かった」ということを言いますが、自分自身も、自分のやりたいようにできない人生で、頼られない人生で終わってしまうのかということと、結婚できるのかなという不安もありました。

本気で夢を追ったりチャレンジすれば、仮にそれが叶わなかったとしても良いと私は思います。

チャレンジもせず、ただなんとなく惰性的な人生を送っていたら、将来、子どもに対して、本気で「夢を追え」とか「チャレンジしろ」など言うことはできないと思いました。

柴山:「このままでいいのか」と思って、いよいよ人生の転換期が来るわけですね。(つづく)

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