人の批判を気にしない方法

2015年06月30日

前を向いて歩こう。

今回のテーマは、人の批判を気にしない方法、ということでお話してみたいと思います。

誰もが人から批判されたり、もっと厳しい形だと陰口を言われたり、悪口を言われたりするとショックです。すごくそれを気にすると思うのですが、慣れていないと気にしてしまいます。

もちろん私だって人間ですので、人が批判したらいい気持ちはしませんけれども、私の場合は人より力が強いとか喧嘩が強いわけでもないですし、頭もめちゃめちゃよかったわけではないですが、変なことはしていました。

変わっていたので、人と違うことをするのが好きだったので、小学生の時から柴山は変わっていると言われていました。ある意味そういう意味では目立っていたのです。

だから昔からよく言われるのは、その年代その年代で変なことをすると、柴山するとか柴山る、という変な動詞があったわけです。

大学の時だと、芝やんと言われていましたけれども、何か変なことすると芝やんしちゃったとか。柴山という動詞があったのです。変なことをするという意味で。

そんな感じだったので、どの年代においても私結構、人から色々言われていたのです。
あいつは変わっているとか、あいつは変だとか。

たまたま結果を出すことがあったのですが、その時にやっぱり言われるのです。
あいつヘロヘロしているのに、結果だけ出しやがってむかつくみたいな。結構言われないことを言われて、ああいうふうに言っていたよと言っていたのだけども、まあそうねと。

結構若い時分から表裏、色々なところで人の批判というのは耳にする目にするという所が私はあったので、対処法というのは考えていました、前から。

20代とか10代とか、その頃というのは結構まともに反応して怒ったりしたのですが、やっぱりある程度人生経験積んでくると分かってくるのです。

なんで批判というのを受けるかということを考えると2種類あるのです。
一つは本当に悪いことして批判されるケースです。これはもう仕方がない直すべき批判です。もう一つは、直しようがない批判があるわけです。

これはまず僕の中で二つ思ったのが、直す批判と直さない批判があると。
だからやっぱり自分の判断力を磨かなければまずいのだけども、まずは、どうしようもない批判、例えば家族構成とかです。

僕の場合は親父がいなかったので、母子家庭と言われてもそれは仕方ないでしょう。柴山のところ親父がいないからしつけが甘いと言われても、それは仕方ないだろうと。俺はどうしようもないです。どうすればいいの、山に修行に行くのかって。

だから家庭環境とか性格とか自分の見た目とか、多少肌艶良くするために睡眠とるとか、そういうレベルならできますけども、どうしようもない事があります。

例えばもともと背が小さいとか、どうしようもないことがあります。
僕は今目が悪いですし、急に目を良くするということはできませんし、身体的な事、それから本来的なことでどうしようもないことで批判されてもしょうがないです。

落ち込んでもしょうがないので、僕の場合は家庭環境であるとかそういった事です。直しようもないこと、或いは自分ではどうしようも出来ない事があるのです。

そのことに関しては、ある意味いわれなき批判なので、不当な批判と考えましょう。

不当な批判、自分ではどうしようもない批判は、まずより分けます。

不当な批判をなんで言うかなのです。
大抵の場合、不当などうしようもないことについて言うのは、相手も分かっていますから、どうしようもないこと。

なんで言うかというと、それは、ある意味ケースバイケースですが、その人の憂さ晴らしなのか、或いは僕の経験上を振り返ると、うまくいっているときにそれを言われる事が多いのです。

例えばTACの受験生の時は、1年目2年目僕は当時、競争社会に身を投じている以上、合格しそうな人としか付き合わなかったのです。合格しそうもない人とは話ししなかったです。

柴山飲み行こうぜと言われても、残念ながら勉強するモチベーションに欠けているとか、受かりそうもない人と僕は付き合わなかったです、実は。

なぜかというと、そこに来ているのは仲良しグループを作りに来ているわけではなくて、受かりに来ているのでしょうと。僕はその辺シビアなので、目的にかなわない付き合いはしないのです、実は。

怖いですある意味。怖いというか、でもしょうがないじゃないですか。
こっちは人生かけてTACに行っているわけです。その前は営業のアルバイトできつい訪問販売で稼いだお金、あの時80万、それをTACに全部つぎ込んだ50万払いました。

つぎ込んだのです、自分のお金を。そこまでして人生をかけてやっているつもりがあったので、しかも留年して内定を辞退してプータローになって最後の勝負と思ってやっているのに、その辺でコーヒー飲んで、がちゃがちゃやっている連中と一緒に騒いでいる暇はないと思っていました。

それが態度に出ていたのです。今でも多分似たような事はやると思います。人生かけたら。それが覚悟というものでしょう。

覚悟のない人たちがいっぱいいたのです。残念ながら半分以上。その人たちとつるまなかったです。一番にしか興味がなかったので、そのクラスで一番できる東大君の勉強法をぐーっと見て、僕は本当に人から教えてもらえなかったので、やり方は研究しました。

一番できるやつの真似をしたのです。そうやってクラスで2番とかになれて、受かりそうだって言われるようなった時に批判されるわけです。

付き合い悪いし、まともに話しをしないから、僕の場合は普通に話はするけど、深い話ししないから。例えば人間関係の悩みとかを散々バイトで聞いてきたけど、大体それをやっている暇があったら、簿記の問題を解けよと思っていた。

皆で集まって話すのは楽しいでしょう。それは分かります。
それは、TACでそれをやってはいけないです。

大原でもいいのだけど、専門学校はそういう場ではないから、受かるために来ているのだから、合格目標以外の行動は一切しなかったので、多分そこはすごくクールに見えたと思います。だから批判されるのです。

僕は言うわけです、2年後に受かるとか、名前載るぞみたいなことを言うわけです。自分を奮い立たせるために。そうするとあいつは生意気だとなる。実際、名前が載るわけです。有言実行するのが好きだったので、よし載ったと。

載らなかったらバカと言われるけど、載ったら載ったで言われるのです。
あいつ調子に乗っていると。やっぱりそういう声が聞こえるのです。

専門学校の中でも話していて、柴山お前なんか最近あの辺から言われていると、なんかちょっとできるからって調子乗っているからむかつくみたいに言われているけど、気にしない気にしない。

そういうふうに言ってストレスを発散するのはいいじゃない。TACの授業料に貢献しているよねっていうだけの話であって、僕それは営業のバイト時代からそういうことをやっていたので、自分が上にいくのは必ず批判を浴びるのです。これは間違いないです。

周りとうまくやって上に行くという人は天才ではいるけど、普通の凡人では必ずと言っていい程、批判を浴びます。
これは僕、色々な人を見て思うのだけども、うらやましいというものあります。

それを言うことで、自分が他人を貶めることで、確かブドウの身が酸っぱい、そういう心理状態があります。納得いかないです。

自分より元々スタートは順位が低かったのに、抜かされたとか、そういう納得いかない気持ちを解消するために合理化します。あいつはこういう所があって、これを犠牲にしているからやっているのだとか、言われるわけです。

それは仕方がない、上に行く時の税金です。そういった理由で批判されているのは仕方がない、これは税金を払っています。その代わりどちらがいいかです。

批判をされずに目的を達成できないのがいいのか、多少の批判を受けても目的を達成する方がいいのか、僕は目的を達成する方を選んでいるので、それは最初から覚悟しています。

自分の気持ちを強く持つというふうに成功している証だと思えるのです。
逆にそれを言われるという事は成功している証です。

僕は人間がそんなにできているわけではないで、必ずと言っていい程上に行くときは、その反対で暗い面があって色々言われます。

柴山は何とかのくせにこうだと言われることがあるので、それは仕方がないのです。
それはもう自分ではどうしようもないです。

目標達成を止めるのかという話になってしまうので、多分想像するにこれは羨ましいとか嫉妬から来る批判ならばしょうがないと、そこは甘んじて受けようと、それはそれでいいだろうと。

それは監査法人時代もありました。僕は普段ヘラヘラしているのだけど、アッパラパーみたいな感じで普段接するわけです。監査法人の中でも。

その状態であるとき人事異動で、もうちょっと重要なクライアントの部署に入った時に、別のチームの偉い人から、飲み会の時に言われました。

柴山君ね、今回ある意味ステップアップしたけど、君は普段キャラクターと勢いでやっているでしょう。これから先はキャラクターと勢いではだめだよと言われて、そういうふうに見られているのだなと思って、言い返したかったのだけど、違いますよと言いたかったのだけども、それもそうだなと。

外から見ると、柴山はやっているように見えないけど、運よく上に行ったと思われるのです。その人はもっと立場上なので、嫉妬とはいわないけど納得いかないのでしょう。そういった批判はあるのです。

でもどうしようもないです。こういうキャラクターですからすいませんとか言いながら、飲み会では場を過ごしましたけど、結構言われます、そういうことを。

まだ言ってくる方はいいわけで、あそこで言っていたよというのを伝え聞くという事もあるので、それは批判というのはあります。

目標に向かってやる以上、目標を取るのか、そういった自分ではどうしようもない批判を受け入れるかどうか。

或いはただ批判の中には言われると何が大事かというと、1回自分の行動を見直すのです。何かまずい事があったかなと。批判をプラスに変えるときはまずは自分ではどうしようもない批判なのか、自分でなんとかできる批判なのかを見極めます。

経験で分かってきます。これは多分どうしようもない単なる言いがかりだなと。
言いがかりにはまともに反論しません。言っている人もある程度分かっていて言っているのもありますから薄々。

気晴らしで言っているとそれはあります。
でも気晴らしじゃない本当の批判もあるので、そこは見極める練習になります。

批判を10言われたら、そのうちの大体僕の経験上7位はあまり関係ない批判なのだけど、3から4は本当に見直すのにいい批判があるので、それは見逃さない。半々かもしれないけど、半分以上は気にしなくていい批判も結構多いのです。

要するに私のそばで見ているわけではないから思い違いもありますし、言いがかりもあります。半分近くは、確かに見直すと逆にステップアップできるかもということがあるので、批判を浴びるっていうことは、自分を見直す良いチャンス、反省するチャンスなのです。

だから先程申し上げた自分で対処できる批判と対処できない批判を分けて、自分で改善できる批判は、これは逆にそれによってチャンスと、ステップアップできるのでいいのです。

批判を浴びたらとりあえず一応考えます。でも自分の人格まで否定されたと思わないことです。自分の人格が批判されたと思ってしまうから落ち込んでしまうのです。違います。

批判というのは、まずはただ言われただけ、誰かが言ったという事実があっただけであって、それによって自分の人格が否定されていませんから、その人はそうかもしれないけど、世間から否定されたわけではないので、気にしない。

批判を過大評価しないということです。
まず言われている、言われているという事はうまくいっているチャンスかもしれないです。

逆によく捉える、ポジティブ思考、私の場合は、うまくいっているときに批判されることが多いのですやっぱり。

そうすると逆に、何で一生懸命頑張っているのに分かってくれないのだと思うでしょう。違うのです。逆なのです。うまくいっているから羨ましい事もあるから気にしない。

或いはうまくいって納得いかないです、なんであいつがあんな評価を受けるのと。そしたらその人のストレス発散に役に立ったと思えばいいじゃないですか。言わせておけばいいです。言わせておけ、気にしない、無視する。

だけど、無視はしながらも無視してはいけない批判もあるかもしれません。
その時に一通りの批判を確認するのです。

無視していい批判が半分位あると思ってこれは無視していいねと。そうですか分りました、ご意見承りましたと言っておいて聞き流す批判、どうしようもない事は。

自分の家族構成も含めてどうしようもない事をいちいち怒っても仕方がないです。そうですかと、羨ましいのでしょうと思っておけばいいわけです。

でも真摯に改善できる批判、ご意見ありがとうございますということで、行動を一個変えるというのもあります。それによって私何度も確かに、その先の危険を脱することができました。

確かに批判の中には、的を得ていることがあるのです。それは、すくい取りましょう。
ラッキーです。結局、的を得ている批判は自分に対する人格の否定ではなくてもっと良くするためのアドバイスをもらったということです。

アドバイスなのかその人のストレス発散の役に立ったか、ストレス発散の役に立ったのか、それは言われなき批判というやつです。羨ましいという批判、ストレス発散の批判です。

ストレスの発散の批判としてその人のストレス発散に役に立ったのか、或いは自分の未来の改善に対するアドバイス。アドバイスかストレス発散のお役立ちと思えば気にならないでしょう。

僕今までやってきて、今でもやっぱりいろんな意味で批判もあるわけでそれはしようがないです。人間完璧じゃないので、神様だってやっぱり一人の神様ではないです。色々な神様はいるわけだから、万能ではないです。ましてや人間ですから。

神様は万能かもしれませんけど、違う神様を信じている人からすると別の神様は万能とは思っていないでしょう。神様だって人によって違うのだから解釈が。人間です。あなたもそうです。批判はあります。

批判をなくそうするのではないです。

批判はあるものだと思って気にしない批判、どうしようもない批判と自分の改善に役立つ前向きな批判があります。前向きな批判かストレス発散の協力、この二つです。悪い事ないでしょう。批判も気の持ちようなのです。

自分の改善のきっかけのアドバイスになるか、その人のストレス発散に協力したと思って、自分が役に立っているということです。言われることが悪いことじゃない。

彼が言うことでストレス発散に協力できたと思ってください。前向きに批判を捉えれば、これはこれであなたの存在意義がアップします。

中には役に立つ批判もあるから、その場合は自分を振り返る、足元を見つめるいい機会です。アドバイスとして批判を捉える部分もあります。改善できるもの。

改善しようがないものについては、その人のストレス発散に付き合ったのだね、役に立った俺みたいな。とりあえずご意見承りました、というふうに気にしない受け流す批判と自分の改善に役立てる批判、ぜひまずは仕分けしてみましょう。

ということで、人の批判を気にしない方法ということで前向きに捉える方法を参考になさってください。今はストレスが溜まりやすい社会でしょう。どのようにうまくストレスを軽くするか、結構大きな課題だと思います。

ほとんどの人は何かしら人から批判されていると思って、自分の人格を否定されたと思って落ち込んでいるでしょう。気にしないことです。

自分がどうにかできるものと、どうにもできないものを二つに分けます。
どうにもできないものは気にしない、どうにかできるものは改善のきっかけにします。

ちょっと今回長くなりましたが、結構根深い話で積み重なるとやっぱり精神が破綻してしまいます。ぜひ毎日元気よく前向きにいきましょう。
ここまで長々とお付き合い頂きまして誠にありがとうさいました。